ごった煮

職業はITエンジニア、趣味はバイク、ゲームなどです。ITに限らずいろんな事をカオスに書いていきます。

数学を学ぶという事

機械学習やAIといった領域を学ぶ必要性に駆られた為、ここ1年ぐらい数学を学んでいる。

 

そもそも高卒でしかも出席日数ギリギリで卒業した、なかばドロップアウトしたような学生生活を送っていた為、微分積分すらきちんと把握していない状態でのスタートであった。

 

現在は高校数学を簡単に学んだ後、大学数学の微分積分、線形対数、統計学を学び、集合と位相を学んでいる。

 

その中で得た知見(というか私の主観による感想にすぎないが)をつらつらと書こうと思う。

 

まず数学を学ぶ中で最初は理解できない事が多い。理解できないというより呑み込めないといったらいいだろうか。我々が一般的に生活する上ではそこまで厳密に求めない論理だからであろうか。

 

しかし最初は理解できずに呑み込めなかった概念もしばらくやっているとそれが自然な物として受け入れられるようになってくる。これは頭の良し悪しというよりは慣れたからとしかいいようがない。

 

数学は習うものではなく慣れるもの

 

まずこれがたったの1年程度であるがまず私が到達した知見である。

 

次に数学を学びだして、厳密化されていない論理を見ると苛っとする事があるようになった。これは今までなかった事で明らかに自分が変わった事に気づいた。

 

そもそも私はソフトウェアエンジニアなのでロジカルに物事を捉えて考えるという事には慣れているはずである。しかしプログラムではある程度の曖昧さが許容されている。これはisabelなどの定理証明ツールに触ってみると分かる。数学を学びなおした事である程度の曖昧さの閾値を超える論理の厳密性を求めるようになったのではないかと思われる。

 

よって厳密化されていない論理を見ると苛っとするようになったのは脳が変わったからであろう結論づけた。そしてそこから導き出されるのは

 

数学を学ぶという事は脳を変えるという事だ

 

という事である。これにはおそらく良い面と悪い面がある。厳密性を求める事で得られなくなるものも恐らくあるからだ。

 

そしてこれらから導き出される結論としては

 

数学を学ぶには時間がかかる

 

という結論だ。なんか頭が悪そうなやつがいうようなしょうもない結論になってしまった。。

 

「但し大学以降の数学に限る」

という但し書きを加えておこう。高校数学まではある程度、その基本概念は直観的に把握できる為である。

 

一部の天才は知らないが数学で難しい、抽象度の高い命題を理解できる人は頭がいいんだろうなと思っていた。しかし自身で実際に学んでみて思った事としてはその命題に対応できる脳になっているという理解の方が正しいのかもしれない。

 

機械学習やAIに限定すると大学基礎を押さえておけば大まかには大丈夫なはずだか、分からない事が分かるようになってくるのがなかば快感になってきた為、数学の勉強自体は趣味で続けようと思う。

 

そしてこれからまだ数学レベルが上がるにつれて脳の構造も変わってくるはずで、その時、世界などんな風に見えるのか楽しみだ。

 

頭がいいという事について

頭がいいという事について今回は考えていきたい。

現在AI関連について勉強しており色々と思う所があった。

AIで頭がいいとは?

現状のAIで頭がいいとは尤もらしい事を判定できる性能が高いという事になる。現状のAIでは思考ができているとは言い難い。ただ対象を限定した場合にはそれが尤もらしい事を判別する能力は一部人間をすでに超えている。

この尤もらしいというのは数学的な表現をすれば巨大な関数近似だ。人間が計算したら時間がかかりすぎるであろう膨大なパターンと複雑な計算をその対象に対する巨大な関数近似としてコンピューターに行わせている。

人の頭がいいとは?

IQが高い、学歴が高いなどの色々の定義があると思うが理数系の学者さんレベルであればその人が頭がいいという事に異論はないと思うからそういう人を今回は対象にしようと思う。

頭がいいとは理解が早い、頭の回転が早い、抽象と具体の間を自在に行きできるなどがあるだろう。AIで頭がいいとは尤もらしい事を判定できる性能が高いであるが、AIを勉強しているとこれは一部人間にそのまま当てはまるのではないかと思った。

例えば少し前に囲碁で有名になったディープラーニング。あれについては人間の直感の仕組みに近いのではないかと思っている。直感についてはその理由は説明できない。ディープラーニングについてもなぜそう判断したかを可視化、人が分かる形にするのは至難の業なのだ。

現状のAIの仕組みとして一般的なのはまず事前データを与えてそのデータのパターンをモデルという対象に学習させる。そしてその学習させたモデルを使用して現実の結果を予想するというような仕組みだ。

これを人間に置き換えて考えると人間も学習済みの多種多様なモデルがあり、それを無意識で取捨選択して精度の高い判断をしているのではないかと思われる。現時点では想像にすぎないが・・・。

AIがいつ人を超えるか?

AIといっても現状思考、考える事ができている訳ではない。因果関係、原因(パターン)から結果を推測する事はAIは得意だが結果から原因を推測する事も現状できない。将来的に考えればおそらく可能であるとは思うがそれにはノーベル賞クラスのいくつものブレイクスルーが必要だろう。

内閣府の記事だ。

http://2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現

要するに四次元ポケットを持たないドラえもんを実現させると言っている。最初見た時ネタ記事かなと思ったがどうやら本気みたいだ。

自ら思考できるAI・ロボットというのは科学として分かりやすいフロンティアかなとも思う。夢もあるがターミネーターの世界のように不安もある世界だろう。

個人的にAIが人間を完全に超えれば人間を排除しようとはしないのではないかと思う。人間が害というのはあくまで人間の倫理感でしかなくもっと根源的に言えばそれぞれの現象は科学反応でしかない。

完全なAIが生まれれば頭がいいという状態についての完全な定義が可能になるかもしれない。

乃木坂46に対する検証

今や国民的アイドル行っても良い人気ではないだろうか乃木坂46。

ドラマにバライティ、クイズ、モデル、舞台とほぼ芸能の全方位で活躍している。乃木坂46の人気が爆発したのはコロナに入ってからだと思っている。そしてTVタレントとしては初のYoutubeの動画サイトから人気が爆発したと思っている。

Youtubeからの人気爆発

TVタレントとしては今までなかったなかった事であろう。Youtubeからの人気爆発というような報道はされていないが私個人の実感としてはコロナ前か中くらいから乃木坂を動画で知り、乃木坂工事中という番組の面白さからグループをよく知る事になった。コロナ後明らかに乃木坂に対する報道、ニュースが増え、そして擦り寄りとも思えるような記事も増えていった。これはコロナでYoutubeを見る人が増えたプラス、Youtubeにより人気爆発となった為であろう。

乃木坂工事中という番組自体もコロナ禍で設楽工事中、日村工事中などそれぞれか面白いと思う部分をピックアップした物を放映していたがあれは明らかに動画サイトを意識したものだと思われる。

TVは絶対に認めないであろうが人気爆発の起点としてYoutubeなどの動画サイトが発端となった事により今後、TVと動画サイトの逆転現象は益々進むことであろう。ただ動画サイト自体の改善点もあるし、限界もある。

動画とTV

まず一つは制作費の問題。動画は宣伝用の動画であればある程度の制作費を望む事ができるがTVに比べれば低いのが現実であろう。制作費が低ければ提供するコンテンツにも影響を与える。

ただこの点のエンターティメントコンテンツ(TV)に関しては今まで独占産業でそのノウハウが提供されていなかったが動画という一般の人々でもある程度、面白いコンテンツを提供できる不特定多数の人々が参加できる媒体が生まれた事によって低コストで高品質なコンテンツを提供するノウハウなどの確立されていくのではないかと思われる。

よって制作費の優位性は費用対効果も相まって相殺されていくのではないだろうか。

それ以外に動画サイトとTVで制作費以外に起因しているコンテンツの格差の問題は何かあるだろうか?特に思い浮かばない・・。TVの優位性はその歴史(コンテンツ作りのノウハウも含めて)と現状で抱えているタレント達の優秀さ以外にはないと思うが、それも今後10年保たれるかどうかも疑問だ。

乃木坂46

乃木坂46に話を戻そう。私見ではあるが乃木坂46は「世界中の隣人よ」がリリースされた時のこのグループは完成したと思った。コロナ禍で多くの人が動画を見ている状況で乃木坂の人気は最高潮、その中での「世界中の隣人よ」はまるでSMAPのような国民的なアイドルの域まで到達したかなと思った。

ただ人気としてもそこが頂点なのかなという気もしている。女性アイドルという事もあり卒業という形で主要メンバーが卒業してしまう。新しいメンバーの子たちも良いがファン自体が疲れてしまうのではないかと思う。

アイドルグループ、運営としての方向性は間違っていないと思う。乃木坂の人気の根源にあるのは謙虚で礼儀正しく真面目な姿勢だと思う。

現状乃木坂を対象にした報道は明らかに擦り寄りでおかしい物も多くまだ大人になりきれていないメンバーに関しては勘違いさせてしまうのではないかというものも多い。おごりについては一部のメンバーには若干見受けられる。ここにどう対処していけるかが乃木坂の人気継続に一番影響するのではないかと思われる。

登山

最近また登山に行きたくなっている。

夏から秋への変わり目で運動の秋という事もあるのだろうが前にふと「なんでしんどい思いして登山するのか理解不能」と言われた事を思い出した。

なぜ山に登るのかその理由はいくつかあると思う

  1. 気分転換
  2. 自然と景色を楽しむ
  3. 森林浴
  4. 体のリセット

自分が山に登る理由として思いつくのは以上だ。

1から3までにおいては自明の事だと思うが4の体のリセットについては不要なエネルギーを一度リセットするようなイメージだ。

具体的にいうと日常生活を送っているとどうしても消化しきれないエネルギーというが出てくると思っている。そのエネルギーを消費して体を一度リセット手段として登山をするイメージだ。一種のデトックスと思ってもらってもいいかもしれない。

ただこれは個人の勝手なイメージだ。何かの文献やソースがあって科学的根拠があってというようなものではないので悪しからず。

登山には平均すると年に数回ぐらいの頻度で行っていると思う。登山熱が高い時は立て続けに登ったりするがいかんせしんどい為、続きはしない。しかししばらくするとまた登りたくなってくる。

高尾山ぐらいであればゆっくり登ればしんどい思いをほぼする事はない。富士山であればゆっくり登っても死にそうなぐらいの思いをする。ただ富士山は一生に一度は登ってみる事をおすすめする。私は中国地方出身で大山という2000メートル級の独立峰によく登った。(おそらく10回いかないくらいは登っている。)独立峰で見た目も富士山によく似ているが頂上からの眺望は富士山には遠く及ばなかった。

富士山に登った時に頂上からみた雲海は感動した。あれは一生に一度は見ておいて損はないと思う。

但し、富士山に登るのは相当しんどい。頂上付近になると酸素が薄くなるので二歩歩いて呼吸を整えて、また二歩みたいな超遅い歩みになってしまう。東京から弾丸で当日の登山を行ったが二度とやろうとは思わない。富士山に登るなら初心者なら泊まりの予定で行く方が無難だと思う。

いつか海外のアルプスに登ってみたい、そしてアルプスをバイクでツーリングしてみたいというのが私の一つの夢だ。

アメリカvs中国は中国が勝つと思っている理由について

アメリカと中国が覇権を巡り争っています。

世間的な一般論として言えば中国はアメリカに勝つことができないという主張が大半かと思います。その理由としては現時点では経済力、軍事力ともにアメリカが上で更にドルが基軸通貨で経済的な仕組みの根幹部分をアメリカが抑えているからだという事になるかと思います。

ではそのような状況で自分がなぜ中国が勝つと考えているかという論拠を上げていきます。

AI社会は社会主義の方が優位性が高い

一番の理由としてはこれから先はAIで社会が回っていくようになる。そしてそのような前提であると純粋な資本主義より社会主義の方が国家の仕組みとして圧倒的に有利である。という点です。

自動運転、自動配達などのAIに関連するオートメーション技術はアメリカでも開発されていますが、中国は国家として実証実験を行う事ができます。AI開発はより多くのデータを持っていた方が有利です。そして人海戦術的な泥臭い作業も多いのが現状です。中国は人もデータも民間に比べれば比較できないほどの優位性をもって活用する事が可能です。

世界経済の仕組みの根幹部分をアメリカが抑えている

これについてはどうしようもありません。ドルでの取引はダメよとアメリカに言われればそれまでなのですがその場合は経済圏自体が分離する可能性があります。そして中国はまだ発展途上の最中ではありますがある程度の内需も見込めている状況から破綻せずに乗り切れる可能性もあると思っています。アメリカ優位の状況は当面は続きますが中国も手を誤らなければ先は分かりません。

今後についての予想

中国は製造2025という大戦略を出しており、その戦略自体は非常によくできています。そしてその戦略をアメリカが見て、やばいと思わせ本気を出させるようになったとも言われています。

その戦略にもAI等については明記されていますが主役ではありません。おそらくですが中国自身もこれからの社会がAIで回るようになり、それについて自分たちにすごい優位性があるという事に気づいていないのではないかと思われます。(特に上層部については)

中国が負ける可能性があるのはアメリカと戦おうとした時でしょう。(但し通すべき主張は断固として貫き通す必要はあります)そして自身の優位性を認識できずに活用できなかった時でしょう。

今後10から20年ぐらいは我慢の期間となる可能性はありますが自身の優位性を活用できれば戦わずして結果勝っていたという結果になる可能性も大きいと思っています。

ただ共産党は実質的に独裁で自由のない社会は嫌なので現状の中国には勝ってほしくはありません。中国が勝てばおそらく世界は塗り変えられます。

未来の夢想

おそらく自分が生きている間で働かずに済む世界はこないのではないかと思っています。しかし将来的にこのまま技術の進歩が進んでいけば必ず働かなくてもすむ社会に帰結します。それがどのような帰結となるのか。アメリカvs中国はそれの一つのヒントになるかもしれません。

バイクに乗ってて何が楽しいの?

趣味はバイクです、と言うとバイクって何が楽しいの?ってよく聞かれます。

「乗ってみないと分からない」

という回答になるのですがバイクの楽しさや利点についてちょっとまとめてみたいと思います。

 

まず乗り始め

免許取り立てで初めてバイク乗った時はかなり楽しいです。脳汁がドシャーと出る感じ?(笑)。まあこれは半年ぐらいで飽きはくるのですが乗り始めはちょっとおかしくなるぐらい楽しいです。

走行景色などの非日常感

都会での夜景、田舎の自然溢れた景色、海岸沿いの潮風と海などダイレクトに楽しむ事ができます。

エンジンの鼓動と加速感と若干のスリル

若干のスリルというか緊張感かな。これは乗ってみないと分からないと思いますね。これは乗車年数に限らずずっと楽しめます。

渋滞回避

これはある程度はできますがやるべきじゃないと思ってます。すり抜けしたとしてもそんなに変わりませんので。

ライテク向上の楽しみ

バイクって簡単に乗っているようにはたからは見えるかもしれませんが結構奥が深いです。サーキット走行に低速での取り扱いなどそれなりに練習をしないと上がらない技術もかなりあります。理論だけではなく感覚を掴んで体に覚えこませなければライテクはつきませんので。ライテクが上がったなと感覚を掴めた時は楽しいです。

 無心になれる

バイクって生身で鉄の塊に跨ってスピードを出して公道を走っているのである程度の緊張感があります。操作を間違えると死ねるので一種の半強制的な集中状態に入り、結果余計な事を考えないモードになります。自分は勝手にバイク禅みたいに思ってるのですが半強制で「今を生きる」モードに入れるのが一番のメリットではないかと思ってます。

禅には静の禅(座禅など)と動の禅(動作そのものに成り切り今を生きる)があります。そして静の禅より動の禅の方がより効果が高いようです。(悟りへの道?なんの効果かはよく分かりませんが・・。)

バイクってこの動の禅の為の半強制的なツールとして利用できる、楽しんで乗った結果利用できてると思ってます。鬱なんかの予防になったりするんじゃないのかな?マインドフルネスとかで下手に瞑想なんかするより精神衛生上はよっぽど効果あると個人的には感じてます。

ただ渋滞走行はダメですよ。あれはストレスが溜まるだけです。後バイクは乗る事自体にリスクがあるので基本全て自己責任の世界です。

つらつらと書きましたがバイクはメリットとか実用性をとかを考えて基本乗るものじゃないです。前提に命の危険のリスクが高いという何よりも優先されるべき項目がありますので・・。

バイクは色々楽しいですよ。但し危険です。

自由賞賛

自由に対する賞賛、特にアメリカ発信の自由に対する賞賛について今回は考えてみたい。

 

そもそもなぜこんな事を考えるようになったかという事について 

最近だがより良い人生を送る為に最も大切なのは自己抑制だと考えるようになった。

大げさに言うと人生哲学が変わった。今までは特に深く考えずに一種の効率主義のような形で楽を追求しようとしていたように思う。

自己抑制力が必要だという根拠は人生は嫌な事の連続であるから。そして人が嫌がる事ほど一般的に価値が高く、それを頑張る事で人生を優位に進める可能性が高いから。

苦を避けるのではなく、苦に向かっていくような心的態度。そのような心的態度をとっていれば自己抑制力は高まり良い人生のスパイラルに乗れるような気がする。

これが前提1

 

次に俳優の堺雅人が書いた書籍に品(ひん)とは何か?という事が書いてあった。

そこには品は周りの人々によって決められるものである種のルールや決まりごとによって定まってくるものだというような興味深い事が書かれていた。

ここでは「品とは何か?」という命題についてはどうでもいいのだが上流階級の人々は独特のマナーなどのルールがあり、せせこましい生き方をしているなと今まで自分は思っていた。気取ってて鼻につくぐらいの印象であった。

しかし前提1より自己抑制力について考えてみると上流階級の人々は自己抑制力を自然と高める生きたかをしているのではないかと思い至った。

自己抑制力は勝手につくものではない。才能としての個人差はあるかもしれないがそんなものはたかが知れていると思っている。(ただの印象論だが)

上流階級のすべての人々がそういう生活、ルールや規律の厳しい生活をしている訳ではないのだろうが(私は庶民なので想像するしかない)。無意識的な選択として、或いは、人生の知恵として、自らに規律を課し、それによって結果として自己抑制力が鍛えられるようにしたのではないか?仮説にすぎないがこの辺りは追求してみたらもしかしたら面白いかもしれない。

ここまでが前提2

 

ここで自由についてwikipediaを見てみると以下のように定義されている

自由(じゆう、ἐλευθερίαlibertasliberty, freedom)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っている[1]ことをいう。哲学用語。

 

 

前提1と前提2より自由ってそもそも賞賛すべき物?

というクエスチョンが自分の中で提起された。自身が疑問に思ったのは以下のようなケースである。

 

上流階級の人々で自己を厳しく律している人々。子供の場合にこれは自らの意思や本性に従っているという状態にはならないと思う。また自らの意思と言うよりは思考停止状態で親や先人達の決まりを破る事による不利益の為に嫌々行っているという状態もあろうかと思う。定義としては自由には当てはまらないが結果としてはより良い人生を送れたというケースだ。

これは前提にあるような下記の二つの仮説を前提としている事は明記しておく。

  • 仮説1:自己抑制力が高まるような生き方をしていたらより良い人生が送れる可能性が高まる。
  • 仮説2:自らに規律を課し、生活をしている人々は自己抑制力が高まる。

 仮説が正しいとすれば定義としての自由でない方がよい人生を送れる可能性が高い場合も多いように思われる。

アメリカ人の肥満率は2019年では10人に4人が肥満を示す割合となっているようだ。これは自由賞賛というよりは食生活や貧困などが多く関係しているのかもしれないが自己抑制力は低い人が多そうな印象を受ける。

アメリカの自由賞賛はご都合主義の部分も多し、プロパガンダもあると思うのでそれをそのまま受け取るのが良くないのは間違いない思う。