プログラミングの適正について
日本でもプログラムを必修にしようかという議論が始まっているようだ。
またアメリカのオバマ大統領もプログラミング教育を推している。
オバマ氏、「すべての人にプログラミングを学んでほしい」Code部
このように昨今、IT化された社会においてプログラミング教育が重要視されているのが現状だ。
しかし実際にプログラマとして働いた事がある人なら誰でも分かっている事だが、プログラミングには適正がある。適正がないと思われる人はなかなかプログラムをサクサク書けるようにはならない。
情報元は忘れてしまったが、欧州でプログラミングの適正を調べる調査を行った記事を見た事がある。その記事によるとランダムにプログラミングの適正を調べる調査を行い、その結果、プログラミングの適正はいい大学を出ているとか、文系、理系は関係なく、プログラミングに向いていない人は全体の半分近くの割合だったそうだ。
プログラミングができるというのは頭がいいと同義のように思われている事が多いが、この記事によると学校の成績がいい、頭がいいからプログラミングができるという事は=(イコール)ではないという事のようだ。
ある一定割合の人は論理的に物事を考える事が苦手な人がいるらしい。そういう人は抽象的に物事を捉える力が高く、それによって一概に頭の良し悪しは決められないそうだ。
実経験として日本の有名大学を卒業した高学歴の人と仕事をした事があるが、そういう人の中でも向いていないだろうなという人はいた。ただ高学歴の人の方が相対的に仕事の面においても優秀である事は間違いないと思う。
こんな記事もある。
プログラマーは適性(向き不向き)で9割決まる | SE年収1000万までの道のり
現状の教育方針では入り口からプログラムの適正を調べて、適正のある人だけプログラミングの教育をするのではなく、公平性の観点から全員に行うようになっている。
適正があって、教育を受けなければプログラミングに興味を示さないような人には有効な施策であると思うが、適正がない人にとっては悪印象しか残さないような結果になるのではないだろうか。
また適正がない人が教育を受けたからといって、実際に職業として選択してしまった場合、不幸な結果になってしまう。
公正性は重要だと思うが、まず入り口で適正を診断して、その結果を当人が踏まえた上で選択できるようにする方がいいのではないだろうか。
そのようにすれば後々、専門学校や大学で高い学費を払って、卒業後、企業に就職する時、または、した後に適正がない事が判明するような悲劇は起こらないだろうと思う。
努力が才能に勝るというのは往々にして嘘だ。子供たちに成功者の美談によって夢を与えるだけでなく、シビアな現実も伝えていく事が大人の誠実な態度ではないかと思う。