個人主義から全体主義へ
最近世の中を見る目が変わった。かっこよく言えば人生観が変わった。
どのように変わったかと言えば、個人主義的なものの見方から、全体主義的なものの味方に変わったと言うべきであろうか
影響を受けたのは二つの概念だ
虚構と家族
虚構については別のブログで紹介している
家族についてはフランスの現代最高の知性と言われるエマニュエル・ドットの家族制度の分類だ
エマニュエル・ドットは家族制度の分類を行い、その分類による、共通項や傾向を分析し、そしてソ連の崩壊などを予測した人物として知られている。
例えばドイツ人と日本人は似ていると言われるがそれは同じ家族制度に分類されるからだ。そしてその家族制度は国家にも影響を及ぼし、そして国家が違っても同じような傾向を持つことから違う国家でもあっても傾向などを予測する事ができる。
これは非常にユニークな考え方で、そして発見でもあると思う。いわゆる学問には全く興味はないがこのように自身の知見を広めてくれるような学びは積極的に取り入れたい。
家族制度による分類のすごい所は経済と全く関係がないような所から、経済的な予測が可能だという事を示した所だろう。この社会、世の中は複雑に絡み合っているが、考えもしないような所から全体への傾向が読み取れるのは興味深い。
話が変わるようだが、株価について、これを完全に予測することは不可能だという事が科学的に証明されている。あまりに多くの要素が絡みすぎて、計算によって予測しようとすると無限大となってしまう為だ。
よって我々は全く予測不可能な株価という仕組みで支えられている資本主義経済を生きているという事になる。そこには家族構成という要因も入る。そしてまだ我々が思いつかないような様々な要素、要因が絡み合っているのだろう。
扇動者
有名なブロガーは扇動者である事が多い
アクセスや読者数を増やす為には読者の感情を揺さぶらなければならない
そうしないと印象に残らず、影響を与える事が出来ないからだ
有名な所だとイケダハヤトさんだろう
扇動者は対立軸を作り、その仮想敵に対する反発などを通して著者の考えに共鳴させる。集団の団結を強める為に外に敵を作る手法に似ている。韓国や中国が日本叩きをするのと原理は同じだ。
多くの情報が溢れている現代において、扇動者に惑わされないようにしなければならない。極論を言ってしまえば何も正しい事などないのだ。立場が変われば考え方が変わる。人はその数だけ正義がある。逆に厄介なのは自分が正しいと強く信じ、強い感情を発揮する人の方だろう。
一応断っておくが、イケダハヤトさんをDisっている訳ではないからね。扇動者を批判している訳ではなく、扇動者に惑わされないようにしようということなので。。
さてトランプvsクリントンの大統領選も終わったが、クリントンの敗戦の演説で気になる一節があった
「正しいことのために戦うことは、価値のあることなんです」
彼女は正しいことの為に戦おうと言っている。この正しい事というのはなんなのだろうか?これは非リベラルな考え(差別主義的など)に対して正しくないと言っているのだと思われる。
彼女は大統領になろうとした人だからもちろん扇動者としての一面を持っている。そして彼女がいう事はある人にとっては正しいが、ある人にとっては正しくない。
人は本質的には無価値だ。私というのは私しか持っていない。しかし自意識の補強をしないとは私を維持できなくなる。私が存在しなければ、それは狂人か死人と同じになる。悟りを開いているような人は違うのかもしれないが、多くの人はそうだろう。だからこそ人は私を補強、補完してくれる扇動者達を求める。
虚構
虚構と言われてみんなはどんな風に思うだろうか?
あまりいい印象は持たないのではないだろうか?
辞書で引くと以下のような意味になる
ではこの世界が虚構で成り立っていると言われたらどう思うだろうか?
そんなはずはないと誰もが思うのではないかと思う
だがそういう風に主張している書籍があった
最近読んだ本でサピエンス前史という書籍になる
この本では人類は虚構によって繁栄したとある
人々は少数ではお互いのコミュニケーションによって意思の疎通を図り、集団を構成する事ができる。しかしある程度以上、100人以上の単位となってくると人々は虚構を持ってしかまとまる事は出来ないと。ここで言う虚構とは古代では神話、現代では法律、宗教、国家、会社などを言う。
法律、国家などは本来、実態を持たないただの概念に過ぎない。それが意味を持っているのは人々がそれを支持し、信じ、従っているからだ。過去の慣習や観念などが意味をなさないように現代の法律、国家という概念も未来にはなんの意味も持たないかもしれない。
興味深かったのは虚構によって人類は見ず知らずの人々の協力を可能にし、国家という単位までの大規模な構成人員を得るに至ったという所だ。理屈としては分かるが、そのような発想はなく新鮮だった。
そうしてみると現代の世の中はほとんどが虚構によって成り立っていると言える。金融、法律、国家、会社、会計、等々、それらは本来、実態を持たない概念に過ぎない。そしてその虚構によって、それを疑う事を知らず、そうである事を知らずに、そうである事に注意を払わずに生きている人々のなんと多いことか!
現代において人が他の人に影響を与える為に最も強力な能力と言えば、それは虚構を作り出す能力だろう。スティーブンジョブズはスマートフォンという虚構を生み出した。スマートフォンは実体を伴うものではあるが、人々が惹かれたのは虚構の部分だ。
スティーブンジョブズは現実湾曲フィールドを持っていたという。
これは虚構を人々に浸透させ、信じ込ませ、広めるための能力だろう。
現状で虚構を作り出すのが最もうまい職業の人はコンサルタントだろう。彼らは何一つ実体を伴わず、主に彼らが作り出す、ストーリー(虚構)によって人々を引き込み、それで報酬を得ている。起業家にコンサル出身は多い。
そして真実とはそれを真実と信じ込ませたものが真実となるという事になる。真実とは概念であり、それすらも虚構に過ぎないのだ。
虚構という機構を知ってしまうと、一種の虚無主義的な思考に陥ってしまいがちだ。自分が好きな漫画の銃夢に次のようなセリフ(うろ覚え)がある。
「この世界が全て物理法則の結果に過ぎず、心が脳内の科学現象に過ぎないとしても、我は自分の意思で命じる。生きよと」
ディベートについて
ディベートという物を知っているだろうか?
自分は何かしらの議論などのテクニックという認識しかなかった。
図書館でランダムに書籍を見ていた所、「ディベート (図解雑学)」という本が目に止まり、借りて読んでみた。
https://www.amazon.co.jp/dp/4816341897
この書籍によるとディベートとは、特定のテーマを肯定側と否定側に分けて、互いに意見を戦わせ、論理的な優劣を競う論理ゲームの事を言うらしい。肯定側には立証責任があり、否定側には反証責任が生じる。
興味深かったのは批判された場合、必ず反論しなければならないという点だ。思ってもいない事でも論理的に正しければそれが正となるが故の反論なのだろう。
それぞれのテーマの知識、議論の構成、戦法、相手がどこを突いてくるかなど、様々な事が想定されるので、知的なゲームとしては楽しいのかもしれない。
そもそも私はなぜ「ディベート」などに興味を持ったのか?私は弁護士でも政治家でもなく、議論に勝たなければならない場面などほとんどない。
それはcakesという本やブログが読めるWebサービスでイギリス在住で海外の事を紹介している日本人の方(May_Romaさん)がおり、その中で海外の管理職、幹部層は学生時代から徹底的にディベートを叩き込まれるという記事を読んだからだ。
海外ではいつ部下に訴訟を起こされたり、寝首をかかれるか分からないらしい。その為、論理武装し、議論に負けないように学校の教育過程からディベートを叩き込まれるとの事だ。
海外の人は大変だなと思う反面、ディベートの論理的な説得や証明、反証はリーダーシップや指導的役割を担う場合は日本でも必要であろうスキルだと思う。さてそれではそれを身につける実践の場は日本にあるのだろうか?くぐってみると以下のような物が日本でもあるようだ。
論理的な議論という事についてはディベートは有用だとは思うが、日本人は上下関係を重んじて、議論自体好まない事もある為、論理的であればいいという訳でもない。その辺りはバランス感覚が必要だと思う。日本で対等な立場以外でディベート的な議論を行えばほとんどの人が嫌がるのではないだろうか。
また議論に勝てばいいという物でもない。日本では「言い負かされた」という言葉もあるので議論に勝っても後で恨みに思われる事もあるだろう。「負けるが勝ち」のケースも往々にしてあると思う。
日本でテレビでやっている討論などは全くディベート的ではないと思う。基本的に相手が話している所にかぶせて話して、相手の考えや意見を形骸化するようなしょうもないテクニックばかり使っている。
ディベートの動画は下記のように幾つかあるようだ。
上記動画は見てみたが正直イマイチだなという感想。史上最強と銘打っているがそれが逆に安っぽくしているように思う。そもそも何で3対1になっているのかが分からない。
会議などで意見が出にくい時などの打開策としてディベートをするのは面白いかもしれない。論理ゲームとして議論する事で心理的な壁を突き破って、創造的な面白い意見が出てくるかもしれない。
プログラミングの適正について
日本でもプログラムを必修にしようかという議論が始まっているようだ。
またアメリカのオバマ大統領もプログラミング教育を推している。
オバマ氏、「すべての人にプログラミングを学んでほしい」Code部
このように昨今、IT化された社会においてプログラミング教育が重要視されているのが現状だ。
しかし実際にプログラマとして働いた事がある人なら誰でも分かっている事だが、プログラミングには適正がある。適正がないと思われる人はなかなかプログラムをサクサク書けるようにはならない。
情報元は忘れてしまったが、欧州でプログラミングの適正を調べる調査を行った記事を見た事がある。その記事によるとランダムにプログラミングの適正を調べる調査を行い、その結果、プログラミングの適正はいい大学を出ているとか、文系、理系は関係なく、プログラミングに向いていない人は全体の半分近くの割合だったそうだ。
プログラミングができるというのは頭がいいと同義のように思われている事が多いが、この記事によると学校の成績がいい、頭がいいからプログラミングができるという事は=(イコール)ではないという事のようだ。
ある一定割合の人は論理的に物事を考える事が苦手な人がいるらしい。そういう人は抽象的に物事を捉える力が高く、それによって一概に頭の良し悪しは決められないそうだ。
実経験として日本の有名大学を卒業した高学歴の人と仕事をした事があるが、そういう人の中でも向いていないだろうなという人はいた。ただ高学歴の人の方が相対的に仕事の面においても優秀である事は間違いないと思う。
こんな記事もある。
プログラマーは適性(向き不向き)で9割決まる | SE年収1000万までの道のり
現状の教育方針では入り口からプログラムの適正を調べて、適正のある人だけプログラミングの教育をするのではなく、公平性の観点から全員に行うようになっている。
適正があって、教育を受けなければプログラミングに興味を示さないような人には有効な施策であると思うが、適正がない人にとっては悪印象しか残さないような結果になるのではないだろうか。
また適正がない人が教育を受けたからといって、実際に職業として選択してしまった場合、不幸な結果になってしまう。
公正性は重要だと思うが、まず入り口で適正を診断して、その結果を当人が踏まえた上で選択できるようにする方がいいのではないだろうか。
そのようにすれば後々、専門学校や大学で高い学費を払って、卒業後、企業に就職する時、または、した後に適正がない事が判明するような悲劇は起こらないだろうと思う。
努力が才能に勝るというのは往々にして嘘だ。子供たちに成功者の美談によって夢を与えるだけでなく、シビアな現実も伝えていく事が大人の誠実な態度ではないかと思う。
東京からの富士山日帰り登山
一生に一度は行ってみたいと思っていた富士山登山。遂に行くことができました。
眼前に広がる雲海、日本一高い所から見る景色は最高でした。
登山スケジュール
当日のスケジュールは下記のような感じです。
- AM5:00 出発
- AM10:00頃 富士山5合目から登山開始
- PM16:00頃 頂上到着
- PM17:00頃 下山開始
- PM20:30頃 下山
- PM20:50 東京に向けてバスから
- PM24:00頃 帰宅
ギリギリ当日富士山登山ができた感じです。後記していますが、高山病などあるので、富士山登山は慣れていなければ2日間ぐらいの余裕を持って臨んだ方がいいと思います。
事前に富士山5合目からの登山時間を調べてみると登りに5〜6時間、下りに3時間ぐらいかかるとの事でした。実際はもう少し早く登れるだろうとタカをくくっていたのですが、結局登り6時間、下り3時間かかりました。
高山病
多分軽い高山病にかかりました。若干の頭痛と頂上では少しの吐き気を感じました。ただ食事は取れる程度の吐き気です。 高山病に関しては今まで調べた事もありませんでしたが、今回の経験で調べた下記リンクなどが参考になるかと思います。
これを見てみると富士山のような高い山を早く登ってやろうとか思うのは禁物のようですね。私は早く登ってやろうと思っていました。バカですね。
富士山登山で高山病対策と知識は最重要かと思いますので、富士山に初めて登る方は是非、上記リンクなどを参考にして高山病対策をしておきましょう。
体力面と登山経験
普段の運動ですが、ランニングなどはしておらず、間に休憩を入れながらのゆっくりとしたスクワット100回を週に2回ぐらいやる程度です。
登山経験は冬山などは怖くて行ったことがなく、コースも分かりやすいコースしか登らないような初級者レベルの人間です。岡山県出身で大山 (鳥取県) - Wikipedia(標高:1729m)に年に1から2回ぐらい登る程度でした。 登りに6時間もかかるような登山経験はありませんでした。
体力的には、今まで行った登山の中では一番きつかったです。頂上近くになると2〜3段くらい登って、少し休憩して、また少し登るという繰り返しでした。ただこれは周りの登山者も同じで、よほど体力に自信があり、登り慣れた人以外はそんな感じになるのかもしれません。 また高山病対策もありますので、富士山は早く登るより、高地順応しながらゆっくり登る方が重要だと思います。
頂上付近でかなり太った外人の方を見かけており、よく登ってこれたなという印象を受けました。普段全く運動していないような人でも登る事は可能かと思いますが、ランニングやスクワットなどの運動を少しでもしていれば、体力面で登頂を断念する事はほとんどない思います。
登山者
外国の方がすごく多いです。特に中国人が多く、外人と日本人の登山者の割合で言えば、半数以上が外人じゃないかなという印象を受けました。
低山では60歳以上の高齢の方をよく見かけますが、富士山ではほとんど見かけませんでした。登山者は20〜50代ぐらいが中心かなと思います。小学校の低学年くらいの子も中にはいました。
服装
富士山は真夏でも氷点下になる事があるそうです。ジーパン、Tシャツのお散歩気分で登っている人も中にはいましたが、最低でも長袖は持って行った方がいいです。 頂上付近は天気がよくてもかなり寒いです。
なぜ登山するのか?
趣味でたまに山登りします、と答えると何が楽しいの?とよく聞かれます。そのように聞かれたら「多分バカだから高い所が好きなのと、頂上の何とも言えない気持ちよさの為」と答えています。
そして登山をしていると、もう少し楽に登りたい→運動しよう、という普段運動する為のモチベーションになります。
運動する為のモチベーションって痩せたいとか健康の為とかがありますが、自分は体型は普通で、健康に不安がない為、運動の為のモチベーションがあまりないので、これは結構有効な動機になります。
登山道
登りは吉田ルート、下りは須走ルートを使用しました。このルートがおそらく初心者にはベーシックなルートなのだと思います。
登りは最初は人工的な道が多く、面白くないなと思っていましたが、6合目ぐらいからはむき出しの山道になります。ただ危険な所などは、山道左右に手すりのようなロープなどがありますので、初心者でも大丈夫だと思います。また登りは各所に食事などが取れる山小屋が多数あります。値段はもちろん高いですが、利便性という意味でも日本一なんじゃないかと思います。
下りはかなり下りやすい整備された山道になります。大半は海などの砂浜を少し硬くして砂利を混ぜたような道で衝撃も少なく、おそらく日本で一番下りやすい山道ではないでしょうか。
最後に
今回は単独行でしたが、富士山は友達とかと行って、宿泊とかもしてみたら楽しいと思います。富士山から眺める雲海は最高でしたので、夜空や星空もとてもいいと想像できます。今回の富士山登山は高山病対策と今度は宿泊、という楽しみができました。
まだ富士山に行っていない方はそれなりに準備して、富士山登山を楽しんでみてはいかがでしょうか。おそらく今までに経験した事のない感動と、今までに経験した事のない登山のつらさ(笑)が味わえると思います。
東京都立中央図書館のIT系書籍
東京都立中央図書館に行ってきました。
http://www.library.metro.tokyo.jp/
phpunitの勉強を今行っており、その為の書籍やまた何か興味惹かれる技術書などあれば借りようと思ってました。
しかしIT系の書籍は古い物ばかり。しかも設計と言語の本が一緒にあったりと分類もめちゃくちゃ。索引の関係でしょうがないのかもしれませんが。。
自分は地方の岡山出身ですが、岡山の図書館の方がIT系の技術書はまだ多いかも。
大きな公園の中にあり、雰囲気と外観、内観もいいのに中身が伴っていないようで残念でした。
楽しみして行ったのですが、日本最大級の蔵書量を誇る図書館でこれです。
IT系の書籍を求めるなら、もう大型書店かアマゾンでポチるしかないかなあ。